このワードが今私の中で最も旬なワードです。
この言葉は、元々は数学の世界で使われる言葉で、元々の定義は以下です。
「可能無限」
■定義
どんな数をもってきても、それより大きい、あるいは小さな数が必ずあるということです。つまり文字通り無限は限りもなくどこまでも続いていくということです。
■例
自然数などで、どんなに大きな数、たとえば1兆という数字をもってきても、それより大きな数がいくらでもあります。
円周率の各小数点第何位の数字は計算してみないとわからないという考え方です。
やってみないとわからないといういわば人間的な考え方です。
→引用元:可能無限としての対角線論法
この言葉は、私が大好きな茂木健一郎さんがよく使う言葉でもあります。
ヒロ杉山さんとの会話でこのように話していました。
ぼくはこのところ、実無限と可能無限のことをずっと考えていて、人生とは結局、可能無限としてしか無限は体験できなくて、次の瞬間になにが起きるかわからないということで我々の人生では無限が担保されている。それって、一日のうちで、無限の可能性が生じているわけです。人生はその連続で、次の瞬間はどうなるかわからないのが人生。そういう可能無限に向き合わないと、人は生きていることにならないと思うんです。
→引用元:「言葉を失ったdictionary」(PDF)
まさに、その通りだと共感しました。
そうだ、人生はどうなるかわからないんだ。そして、可能性においては無限なのだ、と考えるきっかけとなりました。
また、別の講演で、その可能無限を引き出していくためには「多様性」が大切とも語っていました。
いろいろなことに触れたり、チャレンジしたりすることが重要ということです。
本当にそう思います。
「自分の可能性の範囲を自分で勝手に決めつけてない?」
最近は自分にそのように問いかけるようしました。
そして、
「人生は可能無限なんだよ」
と、自分で自分に言うようにすると、いろんなことにチャレンジしてみよう、自分が苦手なことやあまり目を向けていなかった領域のことまで手をのばしてチャレンジしてみようと思うようになりました。
チャレンジする自分を楽しめるようになるし、自分の伸びしろも広がる。
そう最近実感しています。
まとめ
いろんなことにチャレンジすることで、自分の「可能無限」の世界が拓かれる。いろんなことにチャレンジしてみよう。























